もはや日記とかそういう次元ではない

そう、それは日記という既存の枠組みに一切捕われることのない、余りにも宇宙的でユニバースな、それでいてユニバーサルでユニセックスでリバーシブルな、日々の出来事を綴る、例のあれ。日記。

ワルい男がやたらとモテるのは、何故なんだい?

 

今日、喫茶店で作業をしていたら不良風のイカつい男性が入ってきて、その男の連れている女性が恐ろしほど美人だった

  

“美人な女性” はたくさんいるけども、その女性は日常生活に跋扈するそんじょそこらの美人とは一線を画すマジモンの美人だった。イメージとしては、北川景子と石原さとみとマリリンモンローを足してから3で割ることは一切なくシンプルに42を掛け、そこに宮﨑あおい的な可愛らしさとアンジェリーナジョリー的なセクシーさを混ぜ合わせ、さらに檀蜜的なエロさと室伏広治的な力強さを足した感じだ。

 

色々と女性を混ぜ合わせてみたものの、最後に足した「室伏広治」のスパイスが強過ぎて、結果的に、完成した女性はただの室伏広治になってしまった。多少色気のある室伏広治。少し宮﨑あおい的な室伏広治。マリリンモンローな室伏広治。話が逸れてしまったので室伏の下りは一旦忘れて頂きたいが、とにかくワルの隣の女性が、マジで美人だった。

 

 

私は長机的なテーブルに腰をかけていて、横に学生っぽい男の子、その横にオッサンという並びになっていたのだが、その長机の男×3の全てが、女性が店内に足を踏み入れた瞬間一様に女性を凝視した。そして「いや別に見てねえし」と言わんばかりの不自然な動きをしてからそれぞれの作業に戻った

 

しかしその後も全員が超絶美人なお姉さんをどこか気にしていて、時々チラチラと見ては見ていないフリをしていた。定期的に見ては「いや別に見てねえし」。これを繰り返す若手・中堅・オッサンの三人衆。話した事もない3人の男の中に、突如として確かな “友情” が芽生えた。我々は互いを同志と認識し、心の中で手を取り合った。

 

 

さて、3人の見知らぬ男達が言葉を交わす事無く友情を育む物語は「ワルがモテる」という本題とあまり関係がないので一旦忘れて頂きたいが、とにかく、特筆すべきはそのイカつい男性が、極めてテンプレ的なそれだったことだ。浅黒い肌に、筋肉質なガタイ。シンプルな白いシャツからは腕のタトゥーが見え隠れし、イカつい時計をしている。

 

はっきり言って怖い。チラチラ女性を見ていることがバレたらブン殴ってくるかもしれない。そんな圧力に屈しながらも3人の男性は必死にチラ見を繰り返す。生死を掛けた攻防戦。喫茶店は戦場だ。ただし、喫茶店が戦場なのかどうかは本題と関係が無いので忘れてほしい。

 

しかし、思えばこの「ワル」×「美人」の組み合わせは、日常で頻繁に目にする光景である。ワルい人はだいたい超絶美人を引き連れている。なんで「ワル」は、こうもモテるんだ?なんで「イカつい兄さん」と「モデル系の美女」はセットなんだ?おかしくない?こんなことを考えながら熱心にチラ見をしていた私は不意に、ワルの鼻から、鼻毛が出ていることを発見した。完全に出ている。

 

刹那、自分の鼻の穴が強烈に気になってきたので、私は右手の指を駆使して自らの鼻の穴付近を触りまくった。すると、やはりそれらしき感触がある。恐らくめちゃめちゃ出ているというわけではないが、恐らく微妙には出ている。“チラ見を繰り返す鼻毛の男性” はそうとう気持ち悪いだろう。私は親指と人差し指を駆使し、自らの鼻毛をブチッっと抜いた。

 

鑑を見る事無く自分の鼻毛を抜く事ができた私の高い技術力は「ワルがモテる」という本題と関係のない話なので忘れて頂きたいが、とにかく「ワル」という圧倒的な存在が鼻毛というハンディキャップをものともせず超絶美人と対等に渡り合っているという、この事実は改めて凄まじい。鼻毛が出ていても、美人と釣り合う。式にするとこうだ。

 

ワル + 鼻毛 = 超絶美人

 

 

 

これを変換し、ワルに関して以下の式が得られる。

 

ワル = 超絶美人 ― 鼻毛

 

 

 

この「超絶美人から鼻毛を引くとワルになる」という数式がどういう意味をもつのかはサッパリ分からないが、ここに、冒頭の説明から得られる、「超絶美人 = 様々な女性 + 室伏広治」を代入し、以下が得られる。

 

ワル = (様々な女性 + 室伏広治) ― 鼻毛

 

 

 

ここで、なんだかワルよりも室伏広治の方が気になってきたので再び式を変換すると、以下となる。

 

室伏広治 = ワル ― 様々な女性 + 鼻毛

 

 

 

上記のうち、(ワル ― 様々な女性) という概念は、女性経験のないワル、つまり「暴力的な童貞」を表すので、上記の式から以下が得られる。

 

室伏広治 = 暴力的な童貞 + 鼻毛

 

 

 

よって、以下が成り立つことが証明された。

 

室伏広治 = 鼻毛の出ている暴力的な童貞

 

 

 

 

 

さて、室伏広治の正体が鼻毛の出ている暴力的な童貞だったという事実は「ワルがモテる」という本題とは全く関係がないので上記の不毛な数式はキレイサッパリ忘れて頂きたいが、何が言いたかったのかと言うと「ワル」のモテかたは異常であり、異常であるということだ。先ほどから何度も何度も同じ事を繰り返しているだけで、話が一向に進もうとしない。たいへん申し訳ない。

  

 

というか、冷静に振り返ってみれば中学生の頃だって「ワル」は「ワルじゃない奴」より断然モテていたし、ワルは異性のみならず同性からも一目置かれていた。高校や大学になってもワルい雰囲気を持ってる奴はモテたし、今後オッサンになっても “ちょいワルオヤジ” がモテるらしい。

 

正直、全く同じ仕事をして同じ収入を得たとしても多少「ワル」な方がモテるだろうし、やがて成功を収めたとしても「昔ワルだった」ことは美談になる気がする。法に触れない範囲での「ワル」はもう、「ワルじゃない人間」の純粋な上位互換なんじゃないか、そんな気すらしてくる。

 

 

 

じゃあ、なぜ自分は「ワル」になれなかったのか。これは自分の中の正義感でも何でもなく、単純に乗り遅れたからとしか言いようがない。常にワルに対する憧れがあったものの、いまいち不良になりきれず、ズルズルとここまで来てしまった。ただそれだけの話だ。

 

 

この年齢で「ワル」になろうものなら昔からの知人に鬼のように馬鹿にされるだろう。そう思うと中々「ワル」になれない。そんなことをずっと繰り返して来た。振り返ってみればお咎め無くワルになれるチャンスは中学二年生頃の多感な時期、あそこしかなかったのだ。あそこでちゃんとピアスをあけてケンカに明け暮れて眉毛を全剃りするべきだった。

 

そして筋トレに励み、皮膚を浅黒くし、ゴールドのネックレスをつけて柑橘系の香水をつけ、ゆったりと歩きながらまわりの人間を威圧するべきだった。趣味はサーフィンにして単車を乗り回すべきだった。あとタバコだ。ちゃんとタバコを吸っておくべきだった。あと葉巻き。ワルの聖書であるクロマティ高校はあんなに読み込んだのに、なかなか実践にうつせなかった。

 

というか、そもそも論として、自分がワルになれなかったのはこのような気持ち悪い考察を捏ねくり回してしまう自分自身の人間性が深く関わっているのかもしれない。きっと本当のワルはワルについてこんなにアレコレと考えない。つべこべ言わずに豪快に人をブン殴るのみ。喫茶店で他のワルを眺めながら自分の鼻毛を抜きつつブログを書くワルが、一体どこにいると言うんだ? こんなにワルについて考えること自体が、ワルになれなかった理由そのものだろう。ああワルについて考えれば考えるほど、ワルの姿は見えなくなっていく。“ワル”

 

 

  

それは追いかけるほどに逃げていき、近づくほどに遠ざかる

 

 

 

 

チンコ yeah

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

チンコはいよいよ本題と何一つ関係がないので、すぐさま忘れて頂きたい。男の友情や童貞の室伏と比べても、チンコは断トツで関係がない。なぜならば、チンコの話は1ミリもしていないからだ。こうして金曜日も夕方になりました。

 

こちらからは、以上でございます。