もはや日記とかそういう次元ではない

そう、それは日記という既存の枠組みに一切捕われることのない、余りにも宇宙的でユニバースな、それでいてユニバーサルでユニセックスでリバーシブルな、日々の出来事を綴る、例のあれ。日記。

“怒る” という稚拙で野蛮な行為が大嫌いなので、怒られたらブチ切れることにしている

 

元来、僕は自分のことを「温厚な人」だと思っている

 

実際、マジの殴り合いの喧嘩なんて一度もしたことがないし、近しい友人からも比較的温厚だと思われているような気がするし、家族からも「あなたは温厚だ」とよく言われる

 

 

主張が食い違って口論になったとしても、ごめんなさいで済むものは容赦なく「ごめんなさい」をブッ放すし、その際に自分の信じる正しさを相手に知らしめたいという気持ちなんて一切ない。

 

ネガティブな評価も根も葉もない風評も全て受け入れましょう。何もかも許しましょう。言い争いとか喧嘩だけはしたくない。

 

人との摩擦というか険悪な空気というか、とにかく、あれが死ぬ程苦手なのだ

 

 

 

さて、こんな風に自らを平和の使者もしくは器の大きい人格者だと認識してグフグフしている自称温厚の自分であるが、ときどきブチ切れることがある。

 

何に対して切れるのかと言うと、他人の「怒る」という行為に対して。キレるときは決まってコレだ

 

 

怒ることによって醸成される空気が嫌い過ぎて、いつからか自分の中に「怒る人 = 悪」というシンプルな図式が出来上がっていたのである

 

怒るやつや短気なやつは、問答無用でダメ。絶対にダメ。

  

怒らずに伝えることや、怒らず相手を動かすことが出来ないから、人間は怒るのだ。怒るとはつまり、まざまざと自らの無能を露呈しているに過ぎない。

 

怒るやつがいるだけで空気は悪くなる。怒るやつはゴミなのだ。間違いない。ブチ殺して粛清すべき

 

こうして自分は、怒るという行為自体が嫌い過ぎるが故に、怒る人の怒るという行為に対して容赦なく怒る性質を身につけたのである

 

 

 

いつまでも相手が怒っている。やたらと怒っている。怒ることにより空気が悪くなってる。絶対ダメ。でも相手は怒っている。だからブチ切れる。テメェはいつまで怒ってんだおいゴルウああああ!!!!怒りがしつこいんだよボケ!!!

 

 

怒って言わなくても良いだろ、ぁんんあ!???!!幼稚園児でもあるまいし“怒る” とかいう方法に頼る時点でどうかしてんだよテメえええはよおおおゴルアアア!フザケてんのかテメエ!!おいゴルぁ!!!!あ!??! 俺はなああ 怒るやつが、大っっっっ嫌いなんだよgラ!!!!! あああ!!?!何を言っても良いけど、怒ってんじゃねええよボケが怒らずに話せやオラ死ねやゴルルルルァア!!!

 

 

 

 

 

このようなキレ方を、専門用語でなんと言うか、皆さんはご存知だろうか? 「逆ギレ」です。逆ギレ大先生と呼んで頂きたい。

 

 

というか、逆ギレだとかなんだとか以前に、

 

「“怒る” というのは理由の如何に関わらず人間として間違っている、だから今、俺はブチ切れているんだ。」

 

という自分のこの主張は、どうも様子がオカしい。大いなる矛盾を内包している、そんな気がしてならない。 “怒るのは悪いことだから、俺は怒っている”

 

 

これはもう、言うなればチンコ丸だしの警察官が鬼の形相で性犯罪者を取り締まっているようなもんだろう。

 

てめえどこでチンコ出してんだワイセツ罪だゴルァア!!と言いながらチンコ丸出しの性犯罪者を肉棒でブン殴るチンコ丸出しのポリスマン。これに近いのではないかと思う

 

  

過去自分が怒る時、相手は友人だったり恋人だったりしたが、いつもこの肉棒ポリスマンのパターンだったのだ。これは温厚が故の、余りにも平和を強く望み過ぎるが故の、信念の矛盾なのである。自己矛盾☆逆ギレ大先生。

 

 

 

そして芳しくないことに、矛盾を内包しながら逆ギレを繰り出すわたくしのこの芳しくない傾向が、近年どんどんエスカレートしている。

 

 

昔までだったら怒ってる人がいても相当なレベルまではスルーしていたのに、最近、「怒る」という行為に対して怒るスピードが、メキメキと早くなってきているのだ

 

少しでも相手が怒ろうものなら、「てめえええ何怒ってんだよゴルあ!!おれは平和が好きなんだよハゲ!!」  

 

相手が少しでもしつこく怒っていようものなら「ゴチャゴチャいつまでも怒ってんじゃねええええ! 俺は温厚だから怒ってる奴が大嫌いなんだボケナスがごるうううぅあああ!貴様も温厚を身につけろ温厚をを!!!このチンカス野郎ゴルウウウああ!!!」  

 

他人の怒るという活動に対して、物凄い剣幕で怒りまくっている。あまりにも温厚であるが故に。温厚過ぎるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「温厚」とは 。

 

 

 

いま、自分の活動を振り返って、改めて浮き上がるのはこのシンプルな疑問なのです

 

 

彼はそもそもなぜ自分のことを温厚だと思っていたのか。平和を望むという彼の主張は、一体全体、何を指していたのか。

 

 

彼は自戒に自戒を重ね、胸に手を当て、今一度しっかりと考え直さないといけないだろう。平和や温厚という概念を、根本的に履き違えている可能性が高い

 

 

温厚を自称しながらそれを論拠に堂々と逆ギレしてくるやつが、一番危険なのだ。言うまでもない。こんな野蛮人がシャバで野放しになっていること自体が社会全体における大いなるリスクだろう。悔い改めて欲しい

  

 

 

そういうわけで、今、自分という人間の愚かさに対してふつふつと怒りが湧いてきています。そして自分の中に湧いた自分への怒りに対して、今から、満を持して逆ギレするところです。自分が。

なに突然怒ってんだ自分オイゴルァアアア 

 

てめぇ怒ってっとブッコロスぞ自分オルウウァアアア!!!