最近よく友人と大富豪をやるのだが、この大富豪というゲームほどルールが統一されていない競技はそうないだろう
だいたい、大富豪ではなく、このゲームを「大貧民」と呼ぶ人もいるのだ。もはや、ゲーム自体の呼び名すら統一されていない
自分の地元で普通だったルールが全国区なのか、どこまで一般的なルールなのか、全く分からない。
これにより、まずゲームを始める前に、“どのルールが有効か” の確認作業がはじまるのがこのゲームにおける常だ
3は、スペ3
5は、5飛び
7は、7渡し
8は、8切り
10は、10捨て
11は、イレブンバック
..でオッケー?
すると、ここから、世紀の大質問大会の幕開けであります。「え?7渡しと10捨てって何?」「ってか、革命あり?」「階段って3枚から?」「階段ってマーク揃ってないとダメだよね?」「階段革命は、あり?」「革命に8入ってたら流れるよね?」「縛りはありで良いの?」「縛りってマークだけ?数字縛りもあり?」「片縛りはあり?」「役上がりは無しだよね?」「スペ3あがりは?」「ダイ3からスタートでオケ?」「2であがれる?」「役職によるトレードするよね?」「平民何人?」「革命の時は3であがれる?」「都落ちあり?」
これはおよそ他のゲームでは目にすることのない、非常に歪な光景だろう。ジャンケンをしよう、となった時に「チョキ、あり?」と聞いてくる輩はどこにもいない。チョキは、ありだ。ジャンケンのルールは完全に統一されている。いや、殆どのゲームは統一されている。
しかし大富豪は、その限りではないのだ
さて、この大富豪のすり合わせ作業は、やがて、ただのルール確認の域をこえ、謎の “俺の地元合戦” に繋がる点にも特徴がある
「縛り」や「革命」といったメジャーなルールの確認に乗じて、「救急車」、「クイーンボンバー」、「砂嵐」をはじめとした、独特なローカルルールをアピリはじめる輩が出現する
「俺の地元では」「俺の地元では」
お前の地元のルールなんざ知らねえよ とウンザリする人間を横目に、ローカルルールを通じて地元を語りたい男達によるドヤ提案は一向におさまる気配がない
というか、大富豪の場を通じて地元愛を伝えんとしてくる、やたら帰属意識の高い連中というのは、その活動を通じて一体何を成し遂げたいのか。地方創生?
普段ルール確認には全く口出ししない私は、先日、この地元ルール合戦を聞きながら、ふと自分の高校にもローカルルールがあったことを思い出した。それは随分と懐かしい記憶だ。ヨハチ。
それは、「ヨハチ」というルールだった。任意の、4と8を出すと、この、ヨハチという役になる。
ヨハチというのは、我々の高校の柔道部の先生の名前で、それはそれは、とにかく強い男だった。
背は高くないが絵に描いたようなムキムキで、齢50を超えてなお、毎朝恐ろしいほどの走り込みを継続していた
高校1年の時に、授業に「柔道」があって、その時間は全員、ヨハチの恐ろしさに震え上がっていたのだ。同じクラスの柔道部の大男が、いとも簡単に小柄なヨハチに投げ飛ばされていた。強い。
誰にも負けないムキムキの最強戦士、ヨハチ。
教室で大富豪をしていた我々は、その数字群の中に、4と8を見つけ、そこにヨハチを見出したのである。ヨハチ先生がいる。震え上がった。トランプの世界に柔道家が鎮座していた
そこで急遽、ヨハチが我々のローカルルールになった。4と8を出せば、最強。どのくらい最強かと言うと、2のダブルより、強い。
ヨハチは強かった。なにせ、最強のダブルなのだ。あらゆるダブルを打ち負かした。しかし数日が経ち、ヨハチはもっと強いのではないかという話になった。なんでヨハチは、2のトリプルには勝てないのか
「ヨハチが2のトリプルに負けるはずない」
我々の会議は一瞬で終わった。ヨハチはもっと強くなった。ヨハチは、トリプルに対しても勝てるというルールになった。
「ヨハチが “階段” に負けるはずない」
「ヨハチが “革命" に負けるはずない」
その後、ヨハチは、どんどん強くなった。ヨハチのパワーインフレは止まらない。記号や数字の縛りなんぞクソ喰らえ。ヨハチ最強
やがてヨハチは、最強最悪の戦士でありながら音速のスピードをも手に入れた。なんと、「8切り」に対してすら、流させず、割って入れるようになったのだ。
これは、「ヨハチほどの俊敏さがあれば8切りすらさせずに問答無用で現れて一本背負いを決めるに違いない」という謎の仮説に基づいている。ヨハチは、音を置き去りにした
では、仮に、♠︎5、♠︎6、♠︎7、♠︎8、♠︎9、♠︎10、♠︎11 を階段で出した人がいたとしよう。これは階段革命であるのみならず8が含まれているため、8切りの性質も含まれている。このため、通常であれば革命を返すことは絶対に出来ない。最強 of 最強の一手だ。
しかしそれに対して ♥︎4、♣︎8 と出し、「はい、ヨハチ」。これでヨハチの勝ち。
ゲームバランスが失われていることに、全員が気付いていた。なにが、「はい、ヨハチ」だ。いくらなんでも強過ぎる。ヨハチが怖過ぎて、2やジョーカーを何枚持っていようとも自分の勝利までのルートを確信できない。
やがてヨハチはその強さを極め、あまりの強さから、「笑い」すらとれるようになった。自信満々の大富豪が放つ革命の1手に対して、大貧民が「じゃあヨハチで」と言って戦況をひっくり返すことで、爆笑が起きる
全員が「ヨハチ、つえ〜〜」といって笑い転げている。ヨハチを強くした当の本人達が、そのヨハチの余りの強さに驚愕しているのである。
自らの技術によりアンコントローラブルなモンスターを生み出してしまったマッドサイエンティストを彷彿とさせる光景だ
ヨハチをもってすれば、別に結果としてゲームに勝てなかったとしても、「見せ場」をつくることが出来る。 4と8さえ揃えば、ゲームに負けたとしても面目が保たれる。
もうこうなってくると、ヨハチは強いだけでなく、「偉い」のである。ヨハチさえ出せれば、人間として勝ちなのだ。
最終的に、我々の高校において、大富豪にプレイングなどというものは存在しなかった。自分の手札が「ヨハチ」しているかどうか。勝負は、札を配られた時点で決しているのである。ジャンケンやババ抜きと変わらない、ただの運ゲーである。しかしそれが、楽しい。
大富豪における鬼のローカルルール「ヨハチ」。それは、勝敗の基準すらも根本的に覆し、大富豪というゲームを一瞬でクソゲーへと変えつつ万人に幸せをもたらす、奇跡の大バグルールなのでああああるr!!!!
..という過去をふと思い出した。気付けば自分は、「お、お、俺の地元ではあああ!!!!!」と切り出し、鼻息荒く「ヨハチ」を提案していた。それが如何に素晴らしい未来を実現するルールか、熱く語った。そしたらすぐ却下された。納得いかない。