もはや日記とかそういう次元ではない

そう、それは日記という既存の枠組みに一切捕われることのない、余りにも宇宙的でユニバースな、それでいてユニバーサルでユニセックスでリバーシブルな、日々の出来事を綴る、例のあれ。日記。

ふはははは、170cm

スターバックス代々木上原店で優雅に足を組みながら、仕事をしているかのようにキーボードをバコバコ叩いている爽やかな男性を見つけただろうか

それは十中八九、ワタクシである

 

 

仕事に集中出来ないのは、先ほどから横に座っている大学生風の女子2人組がひたすら大声で元カレの話をしているからだ

元カレの服装がどうだ、元カレの嫉妬がどうだ、元カレの身長がどうだ、「えええええっっ〜☆ わっかるううう〜★☆♪」 みたいなことを、それはもう永遠にやっている

 

君たちのその、元カレの性癖を発表し合う試みは大いに結構であるが、

元カレの「身長の話」が、その話題だけが、横に座っている私のトラウマを呼び起こしていることに気付いているのだろうか

 

 

 

 

 

そうあれは高校生の時の話だ。小学校の頃に学年で一番身長の低かった俺は、中学高校と進むにつれメキメキとその身長を伸ばしていった

朝晩の牛乳に加え、ヨーグルト、コーヒーヨーグルト、飲むヨーグルト、フローズンヨーグルト、ヨーグリート、ヨーグレット、と数多の乳製品を摂取し続けた、その努力が正当に報われたと言って良い

メキメキと実力を伸ばした俺の身長はなんと高校2年生の時点で優に168cmを突破し、そしてあわや169cmに到達せんとしていた。当時の俺が170cmを見据えていたことは言う迄もない

 

 

思春期の男達にとって、170cmというのは1つの目安に留まらず本当に重要な意味を持っていた。

170cm未満の人間のあだ名は、ことごとく「クソチビ」(※加藤姓の人間のみ「カトゥー」)、170cm以上の人間のあだ名はことごとく「チェ・ホンマン」(※関口姓のみ「グッチ」) だった

170cmに満たない者にあらゆる物体の「長さ」を語る権利は一切無く、そのような人間に明日を生きる資格は無い。 嘘偽り無く、辺り一面にはこのような認識が蔓延していた

 

 

高校3年、運命のその日。教室を、張り詰めた緊張が支配していた

 

俺は朝から、屈伸運動やジャンプ、スキップ等をしないよう細心の注意を払った。こういった僅かな気の緩みが、運命の0.1cmを左右する

人事を尽くして天命を待つ。それだけだ。俺は徹底した

全く膝や肘を曲げず、背筋を伸ばしたまま、すり足で音も立てず、忍び寄るように無表情で平行移動しながら登校するその若い男性を見て、道中にすれ違った多くの哺乳類が死の恐怖を感じたことは想像に難く無い

 

  

学校に着くやいなや鞄からワックスとスプレーを取り出し、そそくさとトイレの前に移動した。髪をこれでもかと言う程に天空めがけてゴリゴリに持ち上げ、ワックスでゴリゴリに固めてから、スプレーでゴリゴリに固めた

殆どウニとしか表現のしようが無い自らの頭髪を見て一人、心地良い満足感を覚えた。完璧だ、これはどう見ても完璧だ、どう少なめに見積もっても176cmはある。176cmに加え、確かな芸術性だ いやあこれは凄い。前人未到の180cmも見えている 

 

 

運命の時が来て、俺たちは保健室に入った

一人、また一人と身長を計られ、そして告げられた。絶望に泣き崩れるもの、喜びに泣き叫ぶもの

これが戦場かと身震いした。情はどこにもない。実力の無い者には「死」あるのみだ

 

 

ついに自分の番が来た、緊張していたはずだが頭は冷静だった

やれることはやったという自信が土壇場で俺を強くした

 

運命の台に乗る時が来た。薄青色の金属製の棒は220cm程の高さで、そこには0.1cm刻みに線が入っている。5.0cm刻みに数字が記されているのも見えた。その、地面から伸びた長い棒には、地面と平行な短い棒が着いている。それを上から下ろし、それが俺の肉体の一部に触れた瞬間に下ろすのを止める

そして短い棒と長い棒が交わった部分の数字を読むのだ。俺は、170.0cmを睨みつけた

 

 

穏やかな声で俺をエスコートしたお婆さんが、ゆっくりと短い棒を下ろした

俺は息をのみ、顎を引いた

異空間に放り込まれたかのようにゆっくりと、その数秒間が流れた

まだ185cmくらいの高さに横棒があったにも関わらず、その時俺はそれが自分の「何か」に触れたような気がして「アッアッんああっあっああっああぁぁああ〜ん♪」と声を漏らした。下ろされる短いそれを早く止めて欲しいという俺の強い念は、ついに俺に第六感を与え、そしてまだ髪の少し上のところにあった金属を感知させるに至った 

婆さんは容赦なく下ろした。「それが落ちてくると死ぬ」。ギロチンで殺される人間の気持ちが分かった

喘ぎ声を漏らす青年を横目に婆さんはそれを下ろし続け、それはついに俺の髪に触れた。婆さんは勢い良くそれを下ろし続けた。天に向かって伸びたモダンアートがメシメシと音をたて崩壊した。俺は確かな痛みを感じた。ギロチンは構わずウニを粉砕した。俺は婆さんを睨みつけた。ババアはニヤリと笑った。それが頭頂に触れた。走馬灯のように数々のヨーグルトが見えた。ババアが力を込め、それは頭頂に食い込んだ。乳製品の為に死んで行った牛達の群れが見えた。ババアが169.7cmを告げた。保健室から音と光が消えた。ババアが笑った。男は宇宙で孤立した。その直後に計った筈の自分の体重が何キロだったのかを、思い出すことが出来ない

 

 

深い絶望の中、俺は混乱し、もがいた。ババアの哲学はつまり、髪の毛は人間ではないという考えが根底にある

そうか、おもしろい。この俺の頭皮に接続されているケラチンで構成されたこの物質は俺ではないとそういうことか

どこで拾ったわけでも無いこの俺に接続された確かな黒い物体は、俺の一部ではないとそういうことか

人は皆、頭やワキや股間部分に、細くて黒いアクセサリーのようなものを、何千本も何万本もぶら下げて大喜びしていると、そういうことか

「それでは身につけている物を全て外して、全裸になってください」と指示されたら、貴様は迷わずにその場で全身脱毛すると、そういうことか

これが人間の一部でないとすれば皮膚や爪や骨や各種組織も甚だ怪しい。言え 言うのだ。人間の定義、この宇宙で「人間な部分」と「人間でない部分」を分ける正確な定義を発表しろ、うおお

 

 

 

 


そう俺が殺しに目覚めたのは、それからだ 

 

暗殺の極意を学ぶ為、その後、猛烈なガリ勉の末に微分を身につけ、目に付く曲線全てを殺意に満ちた目で睨みつけ、そして木っ端微塵に微分した 多くの数式は俺の前に為す術もなく、ことごとく0になっていった

そして持ち前の微分を活かして京都大学に合格、大学ではイノベーションを専攻し、三井物産に入りトレーディングを学び、そして独立、今では毎日友達と一緒にお客さんの為に土日も休まず頑張って働いているのでした ちゃんちゃん

 

 

 

 

 

 

 

あ、横の女子大生が帰ってる

 

 

あれですか、俺があまりにニヤニヤしながらキーボードをバコバコ叩いてるから怖かったという、そういうことで良いんでしょうか 大変失礼致しました以後気をつけmす