もはや日記とかそういう次元ではない

そう、それは日記という既存の枠組みに一切捕われることのない、余りにも宇宙的でユニバースな、それでいてユニバーサルでユニセックスでリバーシブルな、日々の出来事を綴る、例のあれ。日記。

「今年は飛躍の年にします」と毎年のように言っている飛躍人間は哺乳類ではなく鳥類の一種なのではないか

 

という疑いを持っています。その疑いを感じたのはつい先ほど。今年はどんな年にしますかと聞かれた際に何も考えずほぼ脊髄反射にて「飛躍の年にします」と自分が答えた、正にその瞬間。

 

ふと去年も同じように回答していたことを思い出し、正直、自分が恐ろしくなりました。2016年も「飛躍の年」にすると言い、そして2017年も満を持して「飛躍の年」にすると言う。振り返れば、2015年も2014年も2013年だって「飛躍の年」にしようとしていた気がします。

 

毎年、何も考えずに闇雲に「飛躍の年」にしようとするこの「飛躍一辺倒」な大空を目指すスタンスは、これはもうホモサピエンスというよりはカササギ、シラコバト、ハシブトガラスと言った鳥類に近い発想と言えるのではないか、そんな気がしてなりません。

 

だいたい、「飛躍」という言葉を、自分は何となく大きく高く飛び上がること、即ち「急成長」というような意味合いで使っているのだろうと思いますが、1年で1.2倍くらいの地味な成長に留めておけば良いものを、「飛躍」と言うと、恐らく1年で5倍くらい成長してしまうことをイメージしているわけです。急激に、ガッと上がる感じです。これが自分の場合、ここ10年近く毎年「飛躍の年」を過ごしているわけですから、10年前の自分と比べると、計算上すでに5の10乗で9,765,625倍になってしまっています。急成長どころの騒ぎではありません。976万倍です。976万倍。飛躍も飛躍です。どえらい飛躍です。

 

そして976万という数字自体の持つ漠然とした破壊力もさることながら、一体何が976万倍されているのか、「元の数字が何なのか全く分からないこと」こそがこの飛躍の最も恐ろしいところです。何を976万倍したのか分からず、976万倍が凄いのかどうかすらも良く分からない。これが976万倍まで飛躍してしまった今の私の、真の恐ろしさなのです。見た事がありますか?「何か分からないけど何かのパラメータが常人の976万倍にまで成長してしまっている男性」を。「私はパンチ力が1億倍だ」と言われるより、「私は何か分からないが何かが976万倍だ」と言われた方が、遥かに身構えると思います。スピードか?頭の良さか?口の臭さか…? 何だ… こいつ、一体何が976万倍なんだ… 怖ぇ…怖過ぎる… くそ、迂闊に近付くことすら出来ねぇええ… これが私の対戦相手の心境です。

 

そして何かのパラメータを976万倍させた私と言う男性はつい先ほど、今年をなんと再び「飛躍の年」にすることを近いました。既に976万倍になっているその数値を、今年一年をかけてさらに5倍し、約4880万倍にすることを決意したのです。976万倍という人智を超えた数字では飽き足らず、そのパラメータをなんと約五千万倍へ。

 

今となっては自分の何が飛躍してきたのか、これから何を飛躍させようとしているのか、そのパラメータ、具体的な項目に興味すらありません。毎年のように脊髄反射で「飛躍の年」を誓い、考え無しに「飛躍すること」を志しているだけで、そこには最低限の考察も深い理由も明確なゴールも、何もありません。かつては手段だった「飛躍」がいつの日からか目的化し、何かを成し遂げるための飛躍ではなく、「飛躍のための飛躍」となり、ついにアンコントローラブルになった「飛躍」という魔の手により自分の中の何かが何百万倍になろうともさらに飛躍し続ける際限無き飛躍の化け物。このまま行けば10年後は95,367,431,640,625倍、そして20年後はなんと931,322,574,615,478,515,625倍、すなわち9垓3132京2574兆6154億7851万5625倍になります。「9垓(がい)」、これは非常に大きな数字です。「何かが9垓になっている人間」そんな輩は哺乳類は勿論のこと、鳥類ですらありません。性犯罪者です。前人未到の彼方へ。空前絶後のエクストリーム性犯罪者へ。明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。