もはや日記とかそういう次元ではない

そう、それは日記という既存の枠組みに一切捕われることのない、余りにも宇宙的でユニバースな、それでいてユニバーサルでユニセックスでリバーシブルな、日々の出来事を綴る、例のあれ。日記。

我を忘れた童貞が、マクドナルドでふと革命を起こしてしまった日の話

 

中学生の時に女性と2人でマクドナルドに行った。それは人生で初めてのいわゆる “デート” というやつで、鮮明に記憶に残っている

 

 

当時の自分を、いま改めて客観的に説明すると、何て言うか「小学生にスネ毛が生えた」みたいな感じの人間だったと思う。

 

ガムシャラに付けたワックスによりモダンアートのような仕上がりになった歪な髪型。ヨレヨレの学ラン。謎のスニーカー。その全てが、文句無しにダサい

 

中学は男子校で全く女っ気はなかったので当然のように童貞だったし、周りもみんな童貞だった。

 

女子と触れ合う機会が、なかなか無い。 “女子” というのは、保健室及び『ふたりえっち』の世界にのみ出て来る、特殊な動物だったのだ

 

 

その日、なぜその女性とデートすることになったのかは全く覚えていないけど、集合場所が横浜駅だったのは確かだ。

 

ある平日の学校終わり。集合時間よりも早く駅についてしまい、尋常ではないほどソワソワするダサ男

 

 

まず、待っている時のポーズが気になって仕方がない。「人を待っている時のポーズ」なんて人生で一度も気にした事がなかったのに、それが、急に気になってきたのだ。

 

膝の角度や、手の組み方まで気になる。突っ立ってたらダサいかな?腕を組んでいたらエラそうか?

 

 

ああでもないこうでもないと考えてポーズに微調整を加えているうちに、最終的にジョジョ立ちみたいになってきて、「これだけは絶対に違うだろ」と自分にツッコミを入れるハメになる

 

女性とデートしたことがない自分にも、ジョジョ立ちの童貞がモテないであろうことまでは、どうにか想像がついた

 

 

最初に何を話せば良いんだろうか。というかそもそも最初の一言目は「ヨっ!」が良いのか「ういっす」が良いか、「ウェぇ〜〜イ」が良いのか

 

いや、むしろ重低音のヴォイスで「お待ちしておりました」と言えば笑いがとれるか?いやハイテンションで「ヘイヘイヘええええ〜イ」か?と色々と考えているうちに女性が現れて、余りの不意打ちに、「ンヴォッ」みたいな、気持ち悪い感じの音が出た。

それが、一言目になった

 

 

あれだけ様々なパターンを網羅的に検討したのに、そこにノミネートすらされていない、信じ難いほどに不愉快な音を発する形となってしまった

 

 

 

そしていざお喋りが始まると、そこからはもうアレだった。緊張のあまり、喋りまくってしまったのです。

 

人間は、極度に緊張すると、“挙動不審になってダマってしまう人” と、“我を忘れて喋りまくってしまう人” との2パターンに分かれると言われているが、自分は明確に後者だった

 

 

次から次へと、誰も聞いていないような話を、意味不明な近況の話を、しまくったのだ。緊張のあまり。物凄い勢いで。とんでもない鼻息で。

 

余りの勢いと猪突猛進さに、相手も「イノシシかこいつは」と思っただろう。思ったに違いない。なんなら、「イノシシだ。」と断定した可能性すらある

 

 

正直、話している自分ですら、自身の中に宿ったイノシシ性を自覚していたのである。そこには、確かなイノシシイズムがあった。自分ですら感じたのだから、相手はもっと感じていたはずだ

 

イノシシどころか、バッファローだと思っていたかもしれない。アメリカン・クレイジー・バッファローと、影で呼ばれていたと思う。

 

 

序盤に何を話したのかまでは覚えていないが、マクドナルドに入った頃には興奮気味の水牛も多少正気を取り戻し、相手との最低限のコミュニケーションが成立するようになってきていた

 

そして聞かれたのだ。「熊谷くんって、どんな音楽が好きなの?」

 

 

 

この急な質問に、なぜか分からないけどもヒヤっとしたのを覚えている。

このヒヤっとの正体は恐らく、相手の方が恋愛経験が豊富だろうという客観的な現状認識から来る、「試されている」感

 

 

返答次第では、「こいつショボ」と思われてしまう、そんな気がした。いや、多分その段階ですでにショボいと思われてたんですが。

 

 

 

..どんな音楽が好きか?

 

試されていると思うと、返答に詰まった。その頃の僕が好きだったのは、B'zとミスチルとポルノ。J-POPだ。しかし、直感が囁いている。J-POPじゃない。J-POPを聴く男じゃダメだ。それじゃモテない

 

本当はJ-POPが好きだけど、、 だけど、、だけどそれじゃ、、 それじゃダメなんだ....!! そして次の瞬間、自分の口から、想像もつかない単語が飛び出した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「エミネム。」

 

 

 

 

 

僕はその時の空気を今でも明確に思出すことが出来る。エミネム。一度も曲を聴いたことのない、謎の外国人アーティストの名前が突然頭に出現し、そして気がつけばその名前を、そのまま告げていた。

 

目をまん丸にする女性。「すご〜い」 女性は、そう言った

 

 

女性は驚いていたようだが、何を隠そう、一番驚いていたのは僕自身だ。何かよくわからない危険な方向に、話が進み始めている。

 

エミネム is 誰?分からない。分からないけどこの暗闇を、薄暗い世界を、己を信じて突き進むしかない

 

 

 

“エミネムを聴く” ということ自体は恐らく疑われていなかったのだけど、その女性が次に放った「エミネムのどんな曲が好きなの?」という無垢な質問は、僕を軽やかに追い詰めた。

 

彼女も、そんな素朴な質問が、一人の朴訥な男性を追い詰めているとは微塵も想像しなかっただろう。どんな曲?どんなというか、一曲も知らない。 

 

 

この具体的な質問を受けた時、自分が法外なリスクをとってしまっているということをようやく認識した。しかし、時すでに遅し

 

テキトウに言う曲名すら知らない事実に震え、身体中から変な汗が噴き出している。どんな曲?どんな曲なんだい?エミネムさん。ヤバいぞ 終わった

 

死を覚悟したその時、もはや自分の意思なのか神の意思なのか、何か得体の知れない大いなる力に導かれ、自分の口から恐ろしいセンテンスが飛び出した

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「メジャーなのからマイナーなのまで、幅広く聴いてるよ。インディーズの頃の曲も、けっこう好きなんだよね。」

 

 

 

 

  

 

 

インディーズの頃も、けっこう好き。いや、凄くないですか?冷静に。

 

一番有名な曲すら分からない状態で、インディーズ時代の曲まで愛する男性。なんていう愛情の深さなんだろう。愛の男だ

 

これはつまりどういうことかと言うと、曲名が分からなくて嘘がバレるかもしれないというリスクをヘッジする為に「全て好き」と回答し、結果的に、より大きな、未曾有のリスクをとってしまったということだ。排水の陣。排水のインディーズLOVE

 

 

というかもう、“インディーズの頃の曲” とかそういうのが存在してるのかすら知らない。というか、エミネムに関しては、「恐らく外国人」という情報しかない

 

 

 

しかし一つだけ明確になっていることがあった。それは、ここまで来たからには、絶対に引き下がることは出来ないということ。

 

こんなとんでもない状況で中途半端にドロップしようものなら、自己破産は免れない。何もかもを失ってしまう。ここまできたらレイズ。レイズだ。ひたすらレイズするしかないのだ

 

俺はエミネムについては知り尽くしている。この圧倒的スタンスを崩すことなく、ゴリ押しまくる。それしかないと思った。「俺は、初期の、荒削りの頃のエミネムが好きだった。」

 

 

 

 

 

 

 

「あいつはアメリカの音楽シーンを変える存在だ。」

 

 

 

 

いや、もう、すでに変えていたのかもしれない。分からない。分からないけど、とりあえず “音楽シーン” という言葉を出すことによって、それらしい雰囲気を、雰囲気のマントを羽織ったのだ

 

そしてエミネムを、突然の「あいつ」呼ばわり。エミネムへの前触れ無き急接近。唐突なマブダチ感

 

 

エミネムについて言及しないといけない現実と、エミネムについては何も知らないという現実。 相反するその二つの現実が交錯し、危険な化学反応を起こし、とめどなくカオスを生み出していく

 

 

 

幸い、相手の女性はエミネムについては余り詳しくないようだった。不幸中の幸いだ。どうにかなるかもしれない。その希望に後押しされ、エミネム論が止まらない。「まあエミネムって音楽家として見られてるけど、」

 

 

 

 

 

 

 

 

「実際のところ、エミネムはもはやアーティストじゃなくて、革命家なんだよね。」

 

 

 

 

 

途中から、もはや自分が何について言及しているのか、自分が何を言っているのか、自分自身でも全く理解が出来ない状況が続いた

 

モテたい。スゴイと思われたい。スゴいと思われてモテたい。その強い思いが、信じられない強烈な世界観を生み出した。そしてエミネムは、革命家となったのである。

 

このマクドナルド革命に関しては、エミネム本人としても驚きを禁じ得ない一大事だろう。遠く離れた島国で、テンパリまくった童貞によりエミネムの神格化が止まらない

 

 

 

エミネムが革命家となったその後も、男は一歩も引かず、エミネムについてそれっぽいことを言い続けた。「政治に影響を与えた」「垣根を越えた」「時代を作った」。途中からそれは、エミネムという単語から連想されるスゴイ言葉を発表する、大喜利大会の様相を呈していた

 

 

 

..これ以上エミネムを野放しにすると、空前絶後の大災害になる。

 

そう確信した当時の自分は、エミネムが歴史を覆したあたりで強引に話題を変えて、エミネムトークを終了させた。そんなこんなで、興奮したりテンパったりしているうちにデートは終わった。

 

 

女性からは「楽しかった」と形式的な連絡がきたが、次第に連絡が途絶えていき、ついには返信がかえってこなくなった。ダメだった。男は、敗北したのである。当然の結果だ

 

 

 

でも、もしあのまま会話が続いていたら、あの勢いで “エミネム” を語り続けたら、最後はどうなったんだろう?あのマクドナルドを思い出して、恐ろしくなる時がある

 

それはもう、行くところまで行ったに違いない。「エミネムが資本主義を終わらせた。」と言っただろう

 

  

「エミネムというのは実際のところ概念でしかなくて、人々の “あれがエミネムだ” という想いの集合体こそが、エミネムの正体なんだ。」と言ったに違いない

 

 

そして最後には遠い目をしながら葉巻きをくわえ、「じゃあ、そろそろエミネムでも食べに行くかい?近くに、美味しいエミネム屋さんがあるんだ。」と言ったのだ。そうだ。そうに違いないのだ

 

 

 

きっとエミネムという偶像がマクドナルドを飛び出し、ファンタジーの世界を一人歩きしただろう。誰も知らないエミネム。宇宙としてのエミネムがそこに爆誕していたはずだ

 

 

初デートの話はこれだけで、結果的に「エミネム」というアルテマウェポンで格好つけてみても、それでも女性に興味を持って貰えなかったという事実。それだけが残った

 

もうこれは、エミネムさんに一度正式に謝罪した上で、自分自身を徹底的に見つめ直すしかない。ほどなくして、僕は、エミネムのCDを借りた。

 

 

  

 

 

中学生の頃の、こんな思い出が、ほろ苦い記憶として残っている。変に大きく出て意味不明なことを口走っても、何も良い事はない。とても大切な教訓を学んだ

  

しかしあれから相当な年月が経ち、最近になって、当時の自分が未だに成仏出来ない亡霊のように自分にしがみついているのを感じる時がある

 

 

それは自分に自信がない時。明らかに自分よりも偉い人と対峙している時。凄そうな雰囲気の人が、「で、君は将来何をしたいんだね?」と聞いてきたその瞬間

 

質問を通して自分は何かを試されているのではないかと感じ、ふと緊張することがある。そんな時には決まってヨレヨレの学ランを着た男が横に現れて、「エミネム。」と耳元で囁いてくる。そいつの口が、死ぬほど臭いんです