もはや日記とかそういう次元ではない

そう、それは日記という既存の枠組みに一切捕われることのない、余りにも宇宙的でユニバースな、それでいてユニバーサルでユニセックスでリバーシブルな、日々の出来事を綴る、例のあれ。日記。

精液検査をしにいったら、射精をする部屋でパニックに陥ったのでレポートします。

 

数年前から精液検査に一回行ってみたいと思っていて、それが最近ようやく実現した

 

精液検査をすると、精子が何個くらい出ているのか、活動的な状態にあるのか、病気にかかっていないか等々、色々分かるらしい。

さすがに一度くらいは行っておいた方が良いだろう

 

 

ネットで適当に調べて、上の方に出てきた精液検査用クリニックに行くことに決めた

 

精液は尿検査の要領で、その場で採取するらしい。つまり当日、そのクリニックで射精をすることになるということだ

  

 

それにしても、クリニックで射精をするというのは、どういう感じなんだろう?僕は多少身構えつつ、内心ではワクワクしていた

 

 

クリニックでの射精。ベストケースはと言えば、ズボンを脱いで待っていると巨乳のナースが全裸で現れ、「失礼します」と良いながらフェラチオをおっ始めてくるパターンだろう。

ただ、さすがに風営法の観点からも実現性に乏しく、これは期待し過ぎである。

 

 

次に、やや望ましくないケースとして、オッサンの医者が見ている目の前で「さあオナニーをして下さい」と迫られるパターンが考えられる。

この場合、オッサンが見ているという緊張感から、相当な胆力がないと勃起するのが難しそうだ。これでは精子を測られているのか精神を測られているのか分からない。

 

 

ワーストケースはと言えば、ズボンを脱いで待っているとオッサンの医者が全裸で現れ、「失礼します」と良いながらフェラチオをおっ始めてくるパターン。これである。 

こちらに関してはもう、いかなる観点から考えても明確に「無し」だろう。失礼しますじゃない。

 

オッサンによるオッサンへの突然のフェラチオ。これは“失礼” ではすまされない常軌を逸した活動である。

先方のオッサンがどれほどのテクニックを有していようとも、断固として「NO」を突きつけたい。

 

 

さて実際の精液採取の現場がどうだったのかと言うと、無論、僕の想定のいずれのパターンでもなく、何やら個室の部屋に通されてそこで自由にオナニーをして下さいと言われる形式だったのである

 

 

部屋はいくつもあるし、他の客とすれ違わないような配慮もされていて、素晴らしい

 

部屋の中にはエロ本とAVとモニターがあって、どのように自慰行為を行うのかに関しても、ある程度の自由が保証されている

 

 

申し分のない環境ではあるものの、一つ気になったのは制限時間が設けられている点だ

 

部屋の中には精液採取に関する説明書が置いてあって、「20-30分以内に出て来ない場合は一度退出頂く場合があります」と記されている。

 

部屋には2冊のエロ本と、30枚近いDVDが置いてあったが、これら全てを入念に吟味している時間はない

 

ここでは、「今宵のオナニーを充分にENJOYしまピョウ♡」という射精に対する貪欲な姿勢は、禁物である。

 

 

薄暗い部屋でひとりでにズボンをおろし、まずは手始めにエロ本をパラパラとめくってみる。すると、エロ本というのがいつの時代も「エロ本」であることが分かる

 

ド派手なセックス写真。そこに謎のキャッチコピー。雑なモザイク。ヌード写真。AVの紹介。途中の白黒ページには風俗体験談

 

ああ、中学生の時実家のベッドの下に無造作に隠してたエロ本、何かのタイミングで母親が発見して、机の引き出しの中に綺麗に整頓されてたな... 

 

そんな懐かしい記憶が、エロ本によって掘り起こされる。当時読んでいたエロ本もまさに、こんな感じのエロ本だった

 

そう。エロ本には、こんな感じのエロ本しかないのだ。あんな感じのエロ本やそんな感じのエロ本はない。いつだってエロ本はこんな感じだ。

 

時代は流れ、街はうつろい、社会は変容する。それでもエロ本の持つ唯一無二のエロ本性というものは決してブレることなく、ただそこに存在し続ける。それは行く川の中で流れに逆らい続ける岩場のようであり、その普遍性は美しい数式に酷似している。ページをめくるたび掻き立てられるノスタルジーに圧倒され、僕は息を飲んだ。エロ本というのは決してAVの下位互換ではない。ふと辿り着いたページ。大きめのフォントで記された文字列が僕の目に飛び込む。「ロリータ人妻による絶叫は、まさにダイナソー」。意味が全く分からない。

 

 

 

よし、エロ本でヌこう。僕は決意した

 

正確に言うと、エロ本でヌくのではない。エロ本の先にある、「普遍性」でヌくのだ。普遍性をおかずに出来るチャンスはそうない。

 

エロ本での自慰行為を決めた僕であるが、しかし、一応AVのラインナップも確認することにした

 

あまりにも良いAVがあれば、それはそれで、少し検討の余地はあるだろう。念のため確認しておくにこしたことはない。

 

DVDは、ファイルのようなものにまとめて入っていて、僕はそれを一通り物色する。

 

 

パラパラとめくっていると、素人ナンパもののAVが出てくる。次のページには熟女もののAV

 

いずれにしても、総じてAVのラインナップはかなり無難な様子だった。ちょっと有名なAV女優のベスト版や素人ものが中心で、JK、人妻、外人がチラホラ

 

 

 

なるほどな〜、と思い、やはり今日はエロ本だという思いが強くなる。そして、DVDの入っているファイルを最終ページまでめくる

 

 

すると、何の前触れもなくそのAVは現れた

 

 

 

 

 

f:id:manato-kumagai:20190220170410j:plain


 

 

 

 

 

チンポコ・マグニチュード

 

 

 

僕は自分の目を疑った

 

 

そのDVDには、これまでの人生で一度も聞いたことのない不気味な言葉が、さも当然かのようにドヤ顔で記されている

 

 

嘘だろと思い深く呼吸をし、もう一度、そのDVDを睨みつける

 

 

 

 

 

  

 

f:id:manato-kumagai:20190220170509j:plain  

 

  

 

 

チンポコ・マグニチュード

 

やはり、「チンポコ・マグニチュード」だ

 

 

 

全く意味が分からない。何度文字列を目で追っても、まったく頭の中に入ってこない

 

 

目が知覚した情報が、これほどまで適切にイメージとして変換されないことも珍しい。 

 

チンポコが、マグニチュード?

  

 

チンポコの、いったい、何がマグニチュードなんだ? というか、チンポコ以前に、「マグニチュードである」というのは、どういう状態のことだ...?

 

マグニチュードって、地震の規模を表す単位ですよね?

 

 

 

え...?これはチンポコがマグニチュード、なんじゃなくて、チンポコによるマグニチュード...? ということ?なのか...? 

 

チンポコのピストンによって揺らしたベッドの揺れ具合を、チンポコ・マグニチュードという単位として、新たに提起している..のか?

 

男優がピストンをしている途中に、「それじゃあ、チンポコ・マグニチュード8、いっちゃうよおおお〜〜♪♪」とでも良いながらピストンを早めるのか? 

 

あ、ありえない... 世界観が卓越し過ぎている...  なんなんだこの言葉は.. 

  

 

 

如何とも形容し難いその単語に打ちのめされ、僕は薄暗い個室でイチモツを丸出しにしながら呆然とした。想像だに出来ないパンチラインにぶん殴られ、放心状態になっている。

 

そのあまりの衝撃で、エロ本の魅力などというものは、とうに脳内から抹消されてしまった。圧倒的な普遍性で一世を風靡したはずのエロ本をワンパンでKOしてしまう筋肉王、チンポコ・マグニチュード。

 

 

 

 

f:id:manato-kumagai:20190220170509j:plain


 

それにしても、一見何の関連もなさそうな2つの単語を組み合わせることで、これほどまでに見た物の想像力を刺激するものなのか

   

「チンポコ」と「マグニチュード」の関連が分からないことにより、その関連を自発的に探り、ひとりでに宇宙を彷徨ってしまっている

 

関係なさそうな単語の組み合わせというのは無限のポテンシャルをひめているのかもしれない

例えば、そうだな「サヨナラ満塁エンジン」でもいいし、「非営利くるぶし」でも良いだろう

 

1つの単語の中に垣間見える2つの語根に関連性が“ない”時、人はどうにか関連を探ろうとイマジネーションを働かせ、文脈の開拓に躍起になる

 

サヨナラ満塁のチャンスで、、エンジン?え、、?「エンジン」って、あの、自動車に積む、例のあれ?!?!?!...んェ!?!?ドユコト?!?!

   

 

 

 

f:id:manato-kumagai:20190220170509j:plain


 

そして、あと、なんなんだろう。この、チンコでもチンチンでもなく、「チンポコ」という絶妙なワードチョイスは

 

なんでチンポコなんだろう。チンポコなんて、日常会話で一度も使ったことないぞ。数ある「陰茎」の呼称群でもトップクラスにマイナーな類だ。なんなら「ポコチン」の方がまだ聞く気がする

 

 

しかし、恐らくこれは、「オチンチン・マグニチュード」でも「ポコチン・マグニチュード」でもダメだったんだろう。ダメだったに違いない

  

「チンポコ」でしか成り立たない何か。チンポコ・マグニチュードにおける「チンポコ」の必然性なるものが、この単語からは滲み出ている。しかし凡夫たる我々にチンポコでないといけない理由を知るすべはない。想像を巡らし、推し量ることしか、できない

 

ここで我々の想像力は再び刺激され、このワードチョイスに隠された秘密を探す無限の旅が幕を開けるのだ。なんで「チンポコ」なんだろう?その問いは、未知へと、彼方へと、明日へと繋がる扉ーー

 

 

 

 

「アート」

 

これをアートと呼ばずして、何をアートと呼べよう?アートは常に余白や文脈の曖昧さと共にある。浮世絵絵画がその空白で語るとされるように、チンポコ・マグニチュードはコロケーションの妙、そしてチンポコというワードの起用に潜む広大な余白で語っているのだ。なんという深み... なんという奥行き...。これが現代アートの究極なのか....?だとすれば南無阿弥陀仏...!!let me say南無阿弥陀仏..!!!嗚呼!!!南無阿弥陀仏釈迦如来!!!!

  

 

 

 

 

 

僕の持ち時間は、確実に減っていた。残り時間が6分を切っている

 

これまでの行動はと言えば下半身を丸出しにしたままエロ本を熟読して感動し、その後、変なタイトルのDVDを見つけて念仏を唱えただけ。奇行中の奇行だ。

  

 

時間がない。追い詰められた僕はチンポコ・マグニュードを放り投げた。冷静になれ。こんなものを観ている余裕はない

  

 

慌てて自らの携帯でDMMのアプリを開き、いつものAVを血眼で探す

 

可及的速やかに、具体的には数分内に射精をしなくてはならない。この希有な状況で真に信じられるものはエロ本ではないし、ましてやチンポコ・マグニチュードでもない。「紗倉まな」だ。

 

我らが紗倉まな。安心と信頼の紗倉まな。

 

画面に紗倉まなが現れた瞬間、それまでのドラマが嘘だったかのように脳内は紗倉まな一色になった。その普遍性で一世を風靡したはずの「エロ本」をワンパンでKOしてしまった筋肉王「チンポコ・マグニチュード」をデコピンで彼方へふき飛ばすギガンテス「さくら・まな」 oh.. 最&高!

 

 

漢は慌てて陰茎を握り、凄まじい勢いでそれを擦り、椅子を激しく揺らす..!椅子の揺れは床へと伝わり、ドアが、廊下が、受付が揺れる!!その揺れは、シンプルマグニチュードにして、ゆうに13を超えている!!個室内存在電化製品損傷不可避!!クリニック全棟崩壊不可避!!!オラオラオラアアアアアア!!

  

 

 

 

 

 

 .. 

 

心地良い疲労感が全身を包み、射出された液体をカップに入れると、先ほどまでの様々な興奮が嘘だったかのように突如として大いなる冷静が襲ってくる。

 

その冷静は、あらゆる感情を飲み込む沼だ。目の前で流れるAVは滑稽な組み体操にしかみえない。この男女は裸で一体、何をしてるんだろう

 

 

手続きを終え支払いを済ませる。札を受け取る女性の手を見つめる。無。その精神状態は無の境地と呼ぶにふさわしい。射精後の心はあまりにも穏やかだ。嵐の前の静けさと言うが、嵐の後の静けさには到底及ばない

 

 

外に出て自販機で缶コーヒーを買い、帰ってスマブラをするために家路をいそぐ。街に夕日がさしていて少し感傷的になる。今となってはチンポコ・マグニチュードの何がそんなに面白かったのか、思い出すこともできない

 

 

チンポコ・マグニチュード。あんなものが現代アートの究極なわけない。あれがアートでないことは、どれほど教養のない人間でも少し考えれば分かることだ。チンポコ・マグニチュードというのは、アートの対義語と言っても過言ではない

 

 

むろん、いかなる近未来的な自動車であってもサヨナラ満塁エンジンを搭載するべきではないし、非営利くるぶしに至ってはもうただの「くるぶし」だ。一体どこに営利目的のくるぶしがあるのか。関係のない単語を組み合わせる必要などない。二度と組み合わせないと神に誓って欲しい

 

だいたい、エロ本の普遍性とは何のことだったんだろう。あんなものはAVの下位互換。「ロリータ人妻による絶叫は、まさにダイナソー」だと?恐竜に謝れ。あとダイナソー竜崎にも謝るべき。

   

 

精液検査におけるレポートは以上となります。皆さんも一度行かれると良いのではと思います。では。