もはや日記とかそういう次元ではない

そう、それは日記という既存の枠組みに一切捕われることのない、余りにも宇宙的でユニバースな、それでいてユニバーサルでユニセックスでリバーシブルな、日々の出来事を綴る、例のあれ。日記。

母へ ー息子より

拝啓

 

 

 

 

母へ

 

 

 

27年前の今日、僕はこの地球に生を授かりました。

 

 

誰の助けも借りる事なく自らの腕力のみで貴女の膣から這い上がり、助産婦さん達に深々と一礼をしてから「平素大変お世話になっております」とシャガれた声で挨拶をした生まれたての僕を見て、貴女もさぞ頼もしいと感じたことでしょう。

 

 

その後自分に付着した血液を居酒屋のオシボリで拭き取り、身体に絡まってしまったへその緒を自慢の手刀で真っ二つにし周りの人間を睨みつけてから、ようやく、何かを思い出したかのようにオギャーと泣きました。

オギャーのタイミングが適切でなかったことにより、周囲の人間が誰も祝福してくれなかったことを、今でもつい昨日のことのように思い出します。

 

 

僕が生まれたその時、僕の周りの大人達は衣類を着用していましたが、あろうことか、僕だけは全裸でした。どうして僕にだけ衣類が配布されなかったのか。今思えば、あれが生まれて初めて格差社会を実感した瞬間です。

しかし全裸であることに対し違和感こそあれど不快感はなく、幼くして ”見られる” 快感に目覚めました。

その時に得た確かな喜びからアダルト業界を目指し、業界に革新をもたらすと宣言した生後間もない僕に対し、貴女は一言、「非常に志が高いですね」と評価を与えて下さいました。そしてその直後、貴女は何かを思い出したかのようにオギャーと泣きましたね。

 

 

生後間も無い僕には、高い志と莫大な資本金、広大な土地や数百匹のヤギ、綿密な計画と数人の部下と数万人のフォロワー以外には、何もありませんでした。

その他には、充分な実績や引き締まった肉体、政界とのコネクションや合理的な判断力、下からの三角締めや正確なフリーキック程度しか誇れるものが無く、僕なんてその辺のオバマやジョブズみたいなもんだ、と卑屈になっていました。

 

 

そんな僕を見かねて、貴女は無償の愛の替わりに、優秀な側近を与えて下さいました。父です。

父と僕は共に戦うことを誓い、杯を交わし、兄弟となりました。その数分後に突如として貴女から生まれて来た女性を覚えていますか?僕の妹です。その後、妹と父の間には元気な女の子が生まれました。その女性と僕の間に生まれた男性が、後に貴女の夫となる男性です。彼と父の間に生まれた男性はやがて僕の妹と結婚し、そこに出来た女の子が僕の現在の妻です。一族の血縁関係を振り返り、今改めて一体何が起こったのかとパニックに陥っております

 

 

生後間も無い僕の身長は166cm程度しかなく、その内約150cmが座高だったと記憶します。いぶし銀な風貌と確かなギャランドゥで他の乳幼児を圧倒しており、親バカとは言え、とても可愛いかったのではないかと邪推します。

 

 

 

自らの進路は自ら決めると宣言した僕は生後間もなく地元横浜を離れ、遠く離れた田舎の幼稚園に入園しました。

 

僕はその幼稚園で毎朝歌わされていたK DUB SHINEに一発でヤられ、それからというものhip hopの世界に傾倒、ヴァイブスMAXだった当時の園長先生 a.k.a "炎上戦線" の織りなす圧倒的なグルーヴ感に、ただのヘッズだった僕はアンダーグラウンドの何たるかを徹底的に叩き込まれました。

しかし、当時hiphop童貞だった僕が、ワケも分からず自分につけた名称、「MC イルtheドープネスマイメンスクラッチセルアウトパンチラインソルジャー a.k.a オールドスクールFatherFucker」は、今となっては黒歴史です

 

 

 

幼稚園を卒業した僕は、人事担当者とのご縁もあり、第一志望の企業から内定を頂き無事社会人となりました。その後友人と共に、低い志の元、ふんわりと独立し今に至ります。

 

 

 

思えば、僕はいつもお母さんの優しさに支えられて生きてきました。 

 

 

毎朝、優しくお味噌汁を作ってくれたお母さん。

 

お腹が空いたと言うと、優しく夜食にお味噌汁を作ってくれたお母さん。

 

部活帰りに喉が渇いたと言うと、優しくお味噌汁を作ってくれたお母さん。

 

家族でモメ事があると、率先してお味噌汁を作ってくれたお母さん。 

 

僕が独立すると言った日、涙を流しながらお味噌汁を作ってくれたお母さん。

 

反抗的な態度を取った僕の頭に、優しくお味噌汁を垂らしてきたお母さん。

 

お味噌汁以外も食べたいと言った僕に対し、問答無用でお味噌汁を注ぎ足してきたお母さん。

 

この家には味噌汁以外の食べ物は無いのかとブチ切れた僕に対し、「味噌汁は本質に先立つ」との格言を残し万人を黙らせたお母さん。

 

味噌汁社会に限界を感じ「味噌汁は死んだ」との格言を残して反論したお父さんに対し、「人間は考える味噌汁である」として対抗したお母さんに、「それでも味噌汁は回っている」と言って抵抗を続けたお父さん。

 

お母さんとお父さんがいない間に家に侵入し金目の物を漁ってはせっせと運び出していた見知らぬお兄さん。

 

 

 

 

本当に感謝しています。

 

 

 

末筆になりますが、「まなとのブログを友達にシェアしたいんだけど、チンポって単語が多過ぎてシェア出来ないよ。。チンポってどうにかならないの? チンポは良く無いよチンポは。チンポは本当にやめて。」

という連絡を家族のライングループにくれるのは良いんですが、結果的に一番「チンポ」という単語を発表してしまっているのはお母さん貴女自身ですよ、という息子からの的確なツッコミをもちまして、これを結びの言葉とさせて頂きたいと思います。

 

 

 

敬具

 

2016年2月10日 ー息子より愛とヴァイブスを込めて