表題の通りではあるが、近年、ウォシュレットにより当方のアナルが着々と開発されているので、これまでの経過と今後の見通しを、ブログにしたためたい。
見知らぬ男性のアナルが開発されているという話は多くの人にとってまるで価値のない読むに値しない内容であると想定される為こんな話をブログにしたためて良いものかと少し迷ったが、よく考えてみるとブログというのは価値のない事柄をしたためても良い場所なので、臆することなく、自信を持ってしたためたい。したたたためたい。したたたたたたたたtったたたったたt T
初めてウォシュレットを使ったのは7-8年前だったはずで、その頃、僕は若手社員というかそんな年頃だったと思う。会社のトイレにウォシュレットがついていたので、それを使った
それまではと言うと、僕は本能的にウォシュレットを避けていたのだ
謎のノズルから液体が噴出されることに対し衛生面で疑問を抱いていたし、あと何より比較的アナルが敏感な方だったので、液体をブチ当てられるのがシンプルに怖かった
初めてウォシュレットに踏み切った理由は今では思い出せないが、しかし初めてのウォシュレットの感触は明確に覚えている。衝撃が走った。
それは予想の3倍、いや4倍近くの水圧で、ピンポイントでアナル目掛けて押し寄せてきたのである。人のアナルを目掛けて、水が、押し寄せてくるのだ。
よくよく考えてみると、僕はそれまでの人生において、アナルを目掛けて液体を噴出されるという経験が一度たりともなかった。「アナル目掛けて液体を噴出される童貞」だったのである
というか、多くの人は初めてウォシュレットを使うその日まで、「アナル目掛けて液体を噴出される童貞」だろう。逆にウォシュレット以外でアナル目掛けて液体を噴出された経験がある方は、是非とも名乗り出て頂きたい。
それはどのようなシチュエーションでそうなってしまったのか。やむを得ない事由によるものか。大変興味があります。
さて、アナル目掛けて液体を噴出された経験に乏しかったことに加え、僕は、先天的にウォシュレットに弱みのある肉体構造だった
もっぱらくすぐりに弱く、友達にカンチョウをされただけで膝から崩れ落ちてしまうタイプの人間だったのだ
僕は初めてのウォシュレットにより、肛門へ突如として押し寄せた荒波の衝撃に耐えられず、便座の上で「敏捷なエビ」を思わせる独特な動きをした。
その上で、その異常な刺激に悶え、17階の会社のトイレで、「ンンンっッゴオオオっっ!!!♡♡」と声を漏らしたのだ
それは、芯のある図太い声質でありながら、妙に恍惚でエロティックなニュアンスの混じった、相当に本格的な感じの喘ぎ声だった。
それが、ウォシュレットによる洗浄が始まるや否や、トイレという閉ざされた空間内に木霊してしまったのである
あの時同じトイレにいた他の社員は、あの、男性的でありどこか女性的な僕の喘ぎ声を聞いて、どう思っただろうか。「オカマがオーガズムに達したのか?」と思ったに違いない。
「おや?なぜこんなところでオカマがオーガズムに達しているんだ?」と首を傾げただろう。
僕は軽いパニックを起こしながら無我夢中で「止める」ボタンを探した。余りに気が動転していたのでボタンの位置が分からない。
その間も、水圧により、僕のか弱いアナルは愚弄され続けた
やっとの思いで水を止めた僕は、束の間の平穏の中で、なにか人間として次のステージに進んだかのような妙な達成感に包まれていた。
それは、衝撃3割、くすぐったさ4割、不快感2割、そして、気持ち良さが1割の初体験として、記憶に刻まれた
僕は初体験を終えた後も、このわずかに感じた「気持ち良さ」を、忘れられずにいた。
くすぐったさや、不快感、これを乗り越えた先には、自分の到達したことのない未曾有の快楽が待っているのではないか
新たな領域に到達したいと思った僕はその日以来、大便のあとは決まってウォシュレットに挑戦するようになる。
肛門が鈍感な人には分からないかもしれないが、肛門が敏感な男にとって、ウォシュレットとは、それは非常にチャレンジングで挑戦的なチャレンジである。
僕は自らの実力を冷静に鑑みて、ウォシュレットと戦うに当たっては特殊な戦術を組み入れることに決めた
まずは、いきなりアナルに水が当たらないよう、少しだけお尻の位置をずらして座る。そしてウォシュレットをスタートさせ、その液体を、アナルではなくまずは右の半ケツ部分で受け止めてから様子をみ、少しずつ尻を動かして液体とアナルを近づけるのだ
この、「いきなり液体がアナルに当たらないようにする作戦」は、実際、かなりワークしたようである。
これにより、不意の水圧で突然アナルに電撃が走るという最悪の事態には陥らなくなったのだ
ウォシュレット側に主導権を握られることなく、あくまで自分のペースで、自分のタイミングで、試合を進めることができる
というか、そもそも、ウォシュレットは、あの「おしり」というボタンを押してから実際に液体が出て来るまでに、謎のタイムラグがあるのだ
ボタンを押し、「さあ、かかってこい...!」と思って身構えると、その次に「ウゥゥイイイイイイ〜ん」というノズルが出現する電子音が聞こえ、「く、来る...!!!」と思ってアナルに全神経を集中すると、そこからさらに空白の2秒が訪れ、「こ... 来ない...!?!?」と思ったその直後に、ワンテンポ遅れで、突如として、ジョボボボボボボボボボ!!!と攻撃が始まる
相手の、あの、一人時間差。あのテンポ差攻撃にやられてしまうのだ。不意を突かれたら最後、もう「ンンンっッグフっ!!♡♡」となってしまう
それを防ぐ為には、やはり、いったん右の半ケツで相手の初動を受け止めるしかないだろう
右の半ケツで守りを堅め、その後、少しずつアナルをズラして攻めに転じる。そしてアナルが危ないと思ったら、すぐに「半ケツディフェンス」に戻す
僕はこの攻守一体となった万能型の戦術を用いることで、少しずつウォシュレットに慣れていった。
そして数年ほどが経つと、「ウォシュレットをしないとケツが奇麗になっていないような気がする」という状態へと進化を遂げた
ウォシュレットが、ついに、「大便」という行為の一連の流れに組み込まれたのである。ペーパーで拭くだけではどうも汚いような気がする。そういう状態になった。
「ウンコの後は、絶対にウォシュレットをしたい。」かつてウォシュレット嫌いだったはずの自分は、明らかに成長していた
ウォシュレットに不快感を感じていた頃をフェーズ1だとすると、このあたりの自分はフェーズ2だと言えるだろう
さて、振り返ってみると、このあたりで自分の進化は止まるべきだった。ウォシュレットとアナルの最も調和のとれた関係は、フェーズ2にある。
しかし、ウォシュレットによる肉体の変化は、その後も続くことになる。
それから数ヶ月後、僕は、「ウンコの後はウォシュレットをする。しかしウォシュレットをすると、もっとウンコがしたくなる♡」という症状を発していた
ウンコをし終わったからウォシュレットをしている。そのはずなのに、そのウォシュレットによるアナルへの刺激が引き金となり、もっとウンコがしたくなるのである。
ウンコの終わりを告げるはずのウォシュレットが、なんと、新たなウンコのトリガーとなってしまったのだ
こうなってくると、理論上、ウンコは無限ループすることになる。ウンコ→ウォシュレット→ウンコ→ウォシュレット..
任意のウンコの後には常にウォシュレットが存在し、そのウォシュレットの後には常にウンコが存在する。
計算上、ウンコが終わる日は未来永劫訪れることはなく、私という人間はトイレの中で一生涯を過ごすことになってしまうのだ
しかし実際にはそのループを3回ほど繰り返すと「ウンコが出切った」という確信を得るに至るのであり、一回の大便が人生を滅ぼすということは起こらない。
フェーズ3。これこそが「フェーズ3」である。ウォシュレットによる心地良い刺激が、ウンコのトリガーとなっている状態。
このフェーズになってくると、ウォシュレットのないトイレに入ってしまったら最後、「どうも全部出切っていない」という感覚に襲われる。残糞感。
もはやウォシュレットがないとろくにウンコも出来ないアナルになってしまった
さて、僕はフェーズ3が、かなりの期間続いた。実際、ウォシュレットによるアナルの変化とは言え、このフェーズが最終形態だろうと思っていた。
しかし、そうではなかったのだ。僕はこの長きに渡るフェーズ3を超越し、先日、ついに前人未到のフェーズ4に到達したのである
さて、意図せず自らがフェーズ4に到達してしまったのは、ここ数年、小便ですら「座りション」をするように心掛けていたことが関係している。
立ちションはトイレが物凄く汚れるという話を聞き、まったく大便をしたくない時ですら、便座に座って用を足しているのだ。
ある日、僕は座って小便をしながら、ふと、何の気なしに「おしり」ボタンを押してみた。
全く大便をしているわけではないし、大便をしたくもない。そんな、ウンコとは無縁のタイミングで、ただただ、ウォシュレットを使用してみた。それは、ほんの出来心だった
すると、いつも通りノズルがウィイイインンと出現し、アナルを心地良い水圧が包むではないか。そしてその間、僕はアナルに水圧を感じながら、それとは全く関係なく、オシッコをしている。
小便をし終わると、僕は「止める」ボタンを押した。ウォシュレットは止まり、そして僕はウォシュレットにより少し濡れてしまったアナルを拭いて、ズボンを上げて、トイレを出る。
以上である。これこそが、「フェーズ4」だ。
つまり、大便とは何一つ関係なく、「ただただ気持ち良いから、オシッコをしている時にも、ウォシュレット。」
もはやそこに、「水によりアナルを洗浄する」という意図は一切ない。そして全くもって大便はしたくないので、アナルを刺激されたところで、大便がしたくなるわけでもない。小便をしているのだ。ただそれだけなのだ
しかし、シンプルに気持ち良いから、ウォシュレットもしているのだ
もはや、自分が恐ろしい。シンプルに、アナルが性感帯になっているだけなのではないかという仮説が鬼のように浮上している。小便の最中に性的な快楽を得ようとしている欲張りアナルオジさん。自分も、ここまで来てしまったか。
フェーズ4。完全に人間としての末期症状じゃないか。いや。しかし
私は今、改めて、冷静に自分の今の状況を俯瞰し、「今の自分の状態すなわちフェーズ4が、この一連の変化における最終到達地点ではないのではないか」という可能性を、疑っている
自分は、小便中にウォシュレットをしているのだ。気持ち良いから。フェーズ4だから。
では、もしこれを越える状態が存在するとすれば、それは何だろうか。
恐らくそれは、
「小便がしたいわけでも大便がしたいわけでもないが、ただただトイレに行き、シンプルにウォシュレット。」である
これこそが、未だ見ぬ「フェーズ5」の症状だ。
もはや小便の合間にウォシュレットをしているのではない。「ウォシュレットをしにトイレに行き、ウォシュレットをし終えて戻って来る」のだ。これだ。これが次のフェーズとして、待っている。そして、
そして。さらに、その先があるとすればどうだろう? 更なる先が。前人未到の、「フェーズ6」があるとすれば
もしも、万が一そんな異次元のフェーズが存在するのであれば、それはもはや今の生活習慣を根本から覆す状態のことを指しているだろうと思われる。
フェーズ5において人間は、「日常生活の合間に、大便でも小便でもなく、時々、トイレに行ってウォシュレットをして、戻って来る」という状態になると予想されたのだ
ではその、更に先の状態。その生活洋式を540°ひっくり返してしまった究極完全体ネクストレベルな、次のフェーズはどうか
それは
「ウォシュレットの合間に時々トイレから出てきて、少し日常生活を送り、トイレに戻っていく。」
これだろう。
この、ネオ・ユニバーサル・トイレ・ベーシス・アンドロイドな生活様式。これこそが「フェーズ6」の正体だ。
想像して欲しい。
その男は、一日の大半の時間をトイレで過ごし、じっと便座に座り込み、永遠にアナルでウォシュレットを感じている。
彼は大便をしているのでも小便をしているのでもない。ただただ、トイレでアナルに水圧を感じているのだ。それこそが、彼の人生におけるニュートラルな状態なのだ。
そして腹が減るとトイレから出てきて飯を食い、颯爽とトイレへと戻っていく
荷物が届くとトイレから出てきて玄関で受け取り、そして颯爽とトイレへ戻っていく
彼は、「理由があってトイレに行く」のではない。「理由があってトイレから出る」のだ。もはや現代社会に蔓延した社会的な通念は、彼には全く通用しない
学者によっては、彼を人間ではない他の呼び名で定義付けする可能性もあるだろう
「フェーズ6」 それは人間を辞めた者のみが到達出来る、あまりにも規格外な、ウォシュレットを前提としたライフスタイルなのである。
では、その先にある「フェーズ7」はどうだろうか?
フェーズ7は、それはもう、もはや、あの、
アレだろう。
え〜っと、もうね、アレですわ。
「フェーズ7」 なんだ? え〜っと、フェーズ7は、ほら。 恐らく、例の、
あの、アレです。
ジェロム・レ・バンナです
というか、先ほどからスタバの長机で真顔でこの記事を書いてるんですが、隣の人が目まぐるしく入れ替わってます。
最長でも15分くらいしか僕の横に座ってくれません
もしかして皆さん、ふと隣の真顔の男性のパソコン画面に目をやると、そこに「着々とアナルが開発されている」という題名が記されていて、それで恐ろしくなって席を立ったという、そういうことなんですか?
いま、僕このスターバックスで、サイコパス・真顔・アナル・開発・オジさんだと思われてます?ちょっと、トイレ行ってきます