もはや日記とかそういう次元ではない

そう、それは日記という既存の枠組みに一切捕われることのない、余りにも宇宙的でユニバースな、それでいてユニバーサルでユニセックスでリバーシブルな、日々の出来事を綴る、例のあれ。日記。

ジャングルポケット斎藤さんの報道に対し、一人の世間知らずとして物申したい

 

まず、一体誰なんでしょうか。斉藤さん。お笑いは愚かバラエティ番組すらも全く見ない私のような一部の層が、完全に置き去りにされている。

 


このような世間知らずが今回のニュースを目にするとどうなるか。斉藤さんに対してのベースとなるイメージが全く形成されていない為に「あの斉藤さんが!?!」とも「あの斉藤さんだからな!!」ともならない。「承知しました。」となる。

 


これは過去に渡部さんがトイレでフェラチオをさせていたというニュースを聞いたときに「承知しました。」となったのと同じ原理だ。

 


知らない人のフェラチオに関してはもう承知する他ないし、今後も世界のどこで誰がフェラチオをさせていようとも、こちらとしては徹底して承知していく構えだ。

 


というか、もうそもそも、私はこの斉藤さんという方のパーソナリティに触れる情報を今回初めて耳にしたのだ。彼に関しては、“フェラチオで大ブレイクした方”という認識になっている。

 


結果、今回のニュースは「フェラチオをさせることで有名な方が、ロケバスでフェラチオをさせました。」という情報に変換されてしまっている。

 

 

「しみけんさんが、女性のお尻の穴を舐めました」という報道と変わらない。承知だ。承知以外に何が出来よう。

 


ただし、このようなボクはジェンジェンよく分かりまシェんという“傍観スタイル”は、これでこれで問題だろう。問題が顕在化してきている。

 

先日、仕事でお世話になった先輩と久しぶりに飲んでいたところ、何かの流れでふと本件に関する話題になった。

 

 

「そもそも同意があったなかった云々の前に、妻子持ちの立場でロケバスでフェラチオはヤバ過ぎるだろ」と彼は呆れていた。

 

「そうですねえ。」と言ってから、さあ何か言おうと思うが、何もコメントが出てこないではないか。

 

 

別に特段自分に意見を求められていたというわけではないが、余りにもこの件について私から何もコメントが出てこないので、”フェラチオをさせて訴えられた経験があるのでコメントに詰まっている人” だと思われたかもしれない。

 


どうすれば良い?そのリスクをヘッジするために突然口を開いたかを思いきや「い、いや、僕はさせたことないですよ?」といきなり慌てて保身に走ったらそれこそドツボだ。怪し過ぎる。先輩がこの記事を目にしていることを願う。あれです。本当に、ただ何もコメントが浮かばなかっただけなんです。

 

 

とどのつまり、本件に対する私自身のスタンスを一言で言うと、「よく分からない」になってしまう。興味がありません、とも言えるかもしれない。繰り返すが、これはこれで、本件に関する姿勢として芳しくはない。

 


皆が話題にしているテーマに対して引き目に構えて「興味ない」という姿勢。まずこれは、一見クールなスタンスをとってただカッコつけているだけという印象を与えかねない。達観していると思われたいだけのタッカンマリだ。

 

 
というか、そもそも飲み会のような場でこういった話題が全く斉藤さんとは関係のない我々一般人の間で為されるということは、このような一般的な問いを基にしてそこに関係する自分自身の価値観を交換し合い、又は社会の一般的な傾向を抽象化して切り抜いて確認し合い、議論で盛り上がる過程で互いの理解を深めて盛り上がりましょう。というニュアンスが込められているはずだ。

 

 

そこにきて「ああ、あの話ですね。いやー、あれはめっちゃ承知しましたね。」では、全く意図を汲んでいない。そういうことではない。そもそも承知に“めっちゃ”とかない。

 

 

もう、あれだ。この際、今このスターバックスで、一人の世間知らずとして自分なりの感想を能動的に準備した方が良い気がする。

 

 

聞いた瞬間に先方が唸りを上げベロベロバアと言いながらハイボールを自分の頭に垂らしてしまうようなゴリッッゴリに芯を喰った抜群のコメントを。

 


まず、同意があったのか、なかったのか、彼が人間としてどうなのか等の派生は置いておいて、ただただ独立したこの事象に対して一人の男性として思い切り正直に感想を述べるパターンから考えると、

 

 

「フェラチオをしてもらったこと自体はすこぶる羨ましいが、訴えられるのは避けたいですね。」

 


こうなる。あまり良くない。

これではほぼ何も言っていないのと同じだし、何も言ってないにも関わらず「あ、この人、アカン人や」と思われてしまう可能性だけはしっかり残っている。ハイリスク、ノーリターンだ。

 


逆に女性の立場になって、もし自分がロケバスの中で無理やりオっさんにフェラチオをしないといけない状況になったと想像してこの事象に対して感想を述べると、

 

 
「こわ」
  

 

になる。シンプルに死ぬほど怖い。トラウマになる。しかしこのような議題に対してたった2文字で回答するのは如何なものか。少なくとも30文字以上で回答しないと部分点も期待できないだろう 

  

 

では少し軸をずらして、事象そのものではなく「同意があったか、なかったか」という点について自分の意見をうまく差し込めば良いのだろうか?

 

 

しかしこれはこれで、難易度が高い。なぜならばこれについてはよく分からないを通り越えて本当に、正真正銘、皆目見当もつかない。正直に自分の考えを述べるとすると、

 

 

「あれ、同意があったかもしれないし、なかったかもしれないと思うんですよね。」

 


になってしまう。これは、言葉を発するということが手段ではなく目的になってしまっている類の人間だ。では本当のことは誰にも分からないということを前提として、いっそのこと、

 

 

「僕、真実を暴こうと思います。」
 
 


これなのか?前触れなく発揮された自分のジャーナリズム精神が周囲の人間を置き去りにしてしまわないか心配だ。


 

仮に、同意云々も含め色々と置いておいて、いったん妻子持ちでありながらロケバスでフェラチオをさせたという一人の男性に関して、倫理的観点からコメントを残すとどうなるか。

 

 

「規格外ですね。」

 


これになる。

 


正直、自分は斉藤さんの倫理を批判するほど崇高な人間ではないし、そもそも世の中の人間が倫理的理性的であって欲しいという考えがあるわけではないので、コメントとしては斉藤さんの活動自体が従来の倫理的な規格からは大きく外れていること、その純粋なスケール感に対して敬意を示す程度のコメントに留まってしまう。

 


斉藤さんの奥さんの立場に立ってコメントするパターンもあり得るのだろうか?いよいよ本当にどう思ってるのか難しいな。想像もつかない。まあブチ切れてる可能性は高いし、さすが芸人と思ってる可能性も、なきにしもあらず。少なくとも、初動は「Wow!」とは思っていそうだ。

 

 

いや、そもそもこれは起訴されて事件になる可能性もあるし、茶化すようなスタンスが良くないのかもしれない。その可能性すらある。つまり、ギリギリ使えそうなパートをまとめて自分の意見に落とし込み、先日の先輩との会話をやり直すと、

 

 

 

 


「そもそも同意があったなかった云々の前に、妻子持ちの立場でロケバスでフェラチオは人としてヤバ過ぎるだろ」

 

 

 

 

「…い、いや!!ちょっと待ってくださいよ!僕はフェラチオさせてないですよ!!思い当たる節があるとかとかじゃないです!え、あのフェラチオの斉藤さんがフェラチオさせた件ですよね!?

 

 

あれは、承知しました。

 

まず、フェラチオをされたという事象に関してですが、羨ましいです。でも訴えられるのは避けたいですね。逆に女性の立場に立つと、こわ。トラウマになります。

 

次に、同意があったのか、なかったのかという点についてなのですが、同意はあったかもしれないし、なかったかもしれない。そう考えてます。僕、真実を暴きに行ってきますね。

 

ちなみに、本件に関して事件性を抜きに“妻子持ちの立場でロケバスでフェラチオさせる行為”を倫理的観点から考えると、純粋に規格外だなと思います。あれには奥さんもWow。

 

逆にこれを一つの事件としてフォーカスするのであれば、普通に被害者も出るような案件になっていく可能性あるので、こういう場で茶化すのやめて貰っても良いですか?いや今のところ茶化してるの僕ですよね。だとすると、これ、今どういう状況ですか?」

 

 

やっぱダメじゃん